ふいに泣きそうになったことについて@石垣島祭り

 

こんにちは。ニーナです。

 

今日、私は石垣島の祭りに行ってきた。

 

お祭りは今日と昨日の二日間で行われ、二日目の今日はパレードが行われていた。

 

主人と、仲の良い友達と主人の職場の先輩とでパレード会場に向かうと、予想通りたくさんの人がいた。

 

パレードに友達と飛び入りで参加して踊ったり、色々な方々の踊りを見ていたりした。

 

そこで、私はふいに涙が出そうになった。

 

それは悲しみの涙ではなく、怒りの涙ではなく、「ああ、自分はなんて幸せなんだろう」という幸せの涙だった。

 

今まで幸せに感じて笑顔になることはなっても、涙が出そうになることはなかったから、自分でも驚いた。

 

おそらく、このなんともいえない気持ちは、感動の一種なんだと思う。

 

大好きな人たちと、お祭りという、ある意味限定的な、貴重な空間にいることで、私は最上級の感動に包まれたのだ。

 

私にもこんな感情があったんだなあ。

 

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最後まで見てくださりありがとうございました。

 

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お母さんたちに敬意を込めて

 

こんにちは。ニーナです。

 

今回は子育てについてです。

 

以前まで私は、「子供がほしい」という感情がなかった。

 

それは、「子育ては大変」と想像しているから。

 

もしかしたら、「子育て=大変」と発信するSNSやネットの影響を受けすぎていたのかもしれない。

 

何度も「自分には母性が抜け落ちてるんじゃないか」と思うことがあった。

 

でも、あるとき、こうも感じた。

 

子育ては確かに大変だろうな。でも、自分より大切な、守りたいなと思える存在がいるって、どんなに幸せなんだろう。

 

子供がいることだけが幸せ、と言いたいわけではない。

 

例えばその存在がパートナーでも、友達でも、「自分より大切な存在」がいることがなんて素敵なことなんだろうって。

 

思えば、私の周りのお母さんたちは、子育てはもちろん大変だろうけど、それ以上に、言葉に表せないくらい、子育ては素敵なことなんだって。そう思わせてくれるお母さんたちばかりだな。

 

色々な意見がある中で、こうやって自分の意見や考えを発信することって、誰かを傷つけてしまわないか、そして自分が傷ついてしまわないか、ものすごく不安だけど。

 

ネットの情報ばかりに惑わされないで、自分の周りをよく見てみることも大事なのかなと思いました。

 

ここまでご覧いただきありがとうございます。

 

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生理前のあの憂鬱、なんとかならんとかいな。(切実)

 

こんにちは!ニイナです。

 

今回は、「生理前のあの憂鬱、なんとかならんかいな」ということで!

 

女性の皆さんはもちろんのこと、男性の皆さんも「自分には関係ない」なんて思わずにご覧いただければ嬉しいです。

 

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「生理前に憂鬱になってしまう」

 

って女性はきっと多いんじゃないんでしょうか。

 

いつもは気にならないことが気になってイライラしてしまったり、そのイライラの後に激しい自己嫌悪に襲われたり。

 

どうしようもないですよね。あのイライラ。

 

実は私も、特に生理前は憂鬱になることが多い(というか絶対といっていいくらい高確率)

なんですけど。

 

そしてそのたびに「このイライラどうにかならんかいな」と思うんですけど…。

 

結論から言うとたぶんどうにもならんのですよ、そのイライラ。(泣)

 

っていうか、たぶんどうにかしようとして頑張ったり努力すると、疲れちゃったりイライラが増したり逆効果になるのでやめたほうがいい。(経験談

 

「じゃあどうすればいいんやーーーーー!!!」

 

って声がどこからか聞こえてきそうですが、イライラをゼロにする「努力」はせんでも、イライラを少なくする「工夫」はできるのかなー?と思ってるわけです。

 

で、その工夫なんですが

 

①自分のトリセツを書く

②イライラ期の自分に手紙を書く

 

ってやつ。

 

①のトリセツは、自分を客観的に見るためにやってます。

 

文でだらだら書いてもたぶん読まないし、わかりずらいのでメインは絵です。

 

例えばこんな感じ↓↓↓

 

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(私の場合、機嫌が良い時は外に出たがるけど、機嫌悪いときは家にいたがるので)

 

意外と自分のことわかってなかったりするから、自己分析とかにもめっちゃおすすめ。

 

②はシンプルに機嫌が良い時に機嫌が悪いときや憂鬱なときの自分に手紙を書くってやつ。

 

これはね「自分なんてダメダメじゃん」って自己嫌悪になるのを防いでくれました。

 

もし「あ、これいいかも!」って思ってくれたら、取り入れてみてはいかがでしょーか?

 

やってみて合わなかったらやめれば良いし!気楽にいきましょ!

 

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いかがだったでしょうか!

 

気が向いたらコメントやDMおねがいします!

 

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流産して2ヶ月たった今の心境

 

こんにちは。ニーナです。

 

今回は、流産後2ヶ月たって今感じていることや思っていることを皆さんにシェアできればと思います。

 

よかったら最後までご覧ください。

 

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前回、流産したことをブログに書きました。

 

「流産したことをブログに書くことで不快に思う方もいるかもしれない」

 

と不安な気持ちもありました。

 

でも実際は、みなさんがたくさんの温かい言葉を贈ってくださって、なんだか温かいなあ。ありがたいなあ。としみじみと感じていました。

 

本当にありがとうございます。感謝しています。

 

あれから2ヶ月。

 

当時は心に余裕がなく泣いてばかりいましたが、今振り返れば、流産したことで気づけたことはたくさんあります。

 

ひとつは、人が生まれることは、今こうして生きていることは、当たり前ではないということ。

 

生きているとどうしても、日頃の忙しさで「生きる」ってことを考える余裕なんてないかもしれない。

 

でも、命は本当に尊いし、本当に奇跡なんだなって。

 

たぶん、今空の上にいる赤ちゃんは、そのことを教えにきてくれたんじゃないか、って。

 

私の都合の良い解釈かもしれないけど、なんだかそんな気がして…。

 

だから、今までの人生でたくさん嫌なこととか辛いこと、死にたいこととかもあったけど、

「生きるって奇跡なんだよ。尊いことだし、あなたも尊い。だから、自分のことを大事にしてね」

って赤ちゃんが教えにきてくれたんだと思うんだよね。

 

それからもうひとつ、気づけたことがあって。

 

実感は想像以上だなってこと。

 

私は人と話すときとか人と関わるときは、できるだけ相手にぴったりな言葉を選んだり、相手の気持ちを想像するように心がけてるんだけど、

 

そうやっていくらこちらが配慮して想像したとても、結果的に相手を傷つけてしまうことってあると思ってて。

 

それはある程度はしょうがないことだと思ってるんだけど。

 

今回、流産して、流産というものを実感したり経験したりして思ったことがあって。

 

事前に流産とか死産とか可能性はあるなって想像はできるんだけど、実際に経験してみるとやっぱり想像以上にたくさんのことを感じたの。

 

例えば、深い深い悲しみや自責なんかをね。

 

もちろん、マイナスなことばかりじゃなくて、自分って周りの人にこんなにも支えて

もらってるんだなって。

 

なんかね、そのことを頭ではわかっていたんだけど、心の底から実感できていなかったなって。

 

そんなことを感じた、今日この頃でした!

 

ちなみに、私は元気です。心配してくれてありがとう。

 

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最後までご覧いただきありがとうございます。

 

コメントやDM、励みになります。感謝しています。

 

 

 

気分が落ち込んだときの対処法について

 

こんにちは。ニーナでです。

 

今回は、気分が落ち込んだときの自分なりの対処法についてお話ししていきたいと思います。

 

よかったら、最後までご覧ください。

 

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①おいしいものを食べる・よく眠る

 

「食欲」「睡眠欲」は人間の最大欲求のうちの二つです。

 

当たり前のことかもしれませんが、欲求を満たすことってとても大事だと思っています。

 

18分の睡眠で3時間分の疲労回復になる、という人もいるほどなので。

 

私の場合、欲求に素直なようで、お腹が空くと機嫌が悪くなったり、眠いと元気がでなかったりするので、特に食欲と睡眠欲に関しては、満たさなければならない最低限の欲求だと感じています。

(「なんだか赤ちゃんみたい」という声が聞こえてきそう……笑)

 

なので、疲れたり落ち込んだりしたときは、おいしいものを食べて眠るようにしています。

 

でも、特に仕事中など自由に食べたり睡眠を取ったりできないときもあると思うんです。

 

そういった制限があるときに、私がどうしているのか?お話していきます。

 

②人と話す・話を聞いてもらう

 

これは、悩んだときは一人で考え込んでしまう人にこそやってみてほしいです。

 

もちろん、一人で考えるのが悪いことだと言っているわけではありません。

 

ただ、落ち込んだときの自分を振り返ってみると、一人で考えていると脳内で考えことがぐるぐる回るだけで、改善することはなかったんです。

 

対して、人と話すとアドバイスをくれたり、共感してくれたり何かしら刺激をもらえると思うんです。

 

ただ、ここで注意したいのは、話を聞いてくれる人をえらんだほうがいいということです。(特に落ち込んだときはなおさら)

 

落ち込んだ時に否定ばかりされたらさらに落ちこんでしまうので……。

 

正論や意見を言ってくれる人も大事。だけど、ただ共感してほしい!っていうときもあると思うんです。

 

なので、話をしたり聞いてもらったりするときは、そのときの自分に合った人と話すように心がけるといいかもしれません。

 

③深呼吸をする

 

落ち込んだときは、自分を冷静に見られなくなることが多いです。

 

自分にとっては重大事項!だと思っていても、まわりから見れば「たいしたことない」と思うことはよくあります。

 

深呼吸をして、自分をできるだけ客観的に冷静に見られるようになりたいものです。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました!

 

よかったらコメントやDMなどもお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、流産したことについて

 

こんにちは!お久しぶりです。ニーナです。

 

今回は少し重いテーマになってしまうんですが、最近私が経験した流産についてお話したいと思います。

 

このテーマでブログを書くのかしばらく悩んだのですが、私の経験が誰かの役に立てればいいいなと思いと、亡くなってしまった子どもがお腹の中で存在していたという記録を残したいという気持ちから、ブログを書く決心をしました。

 

最後までご覧いただけると嬉しいです。

 

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私が流産したのは、妊娠8週目のちょうど3ヶ月目に入った頃でした。

 

ちょうど、母子手帳をもらいにいった翌々日のことでした。

 

少量の出血を確認したのをきっかけに「あれ、おかしいな」と思い始めました。

 

それからスマホと睨めっこしながら検索魔になっていましたが、妊娠初期は少量の出血がある、という情報が目に飛び込んできました。

 

少し安心したものの、念の為病院へ。

 

病院では「赤ちゃんはお腹にいるし、心臓も動いてるから大丈夫。このくらいの出血なら心配しなくてもいいですよ」とお医者さん。

 

そのときは、心の底から本当に良かったと思いました。

 

しかし、安心したのも束の間……その日の翌日、出血の量が明らかに増え、お腹がだんだん痛くなっていきました。

 

不安でいっぱいになりましたが、「でも、昨日病院にいったばかりだし大丈夫だろう」と思っていました。

 

それから更に出血が増え、お腹の痛みがピークに達したとき、「ああ、もうだめかもしれない」と初めて思いました。

 

お腹の痛みが我慢できなくなったので、すぐに病院へ。

 

内診室で「お腹、すごく痛かったよね」とお医者さんに言われましたが、正直お腹の痛みなんてどうでもよくて、とにかくお腹の赤ちゃんが心配でした。

 

「昨日までいたはずの赤ちゃんはお腹にはいないようです」

 

流産と言われました。

 

お医者さんの説明を聞いている間、ずっと涙が止まりませんでした。

 

なんだか心が空っぽになってしまったような感じで、お医者さんの説明も耳に入ってきませんでした。

 

今までに経験したことのない深い悲しみでした。

 

それから家に帰ってもしばらく泣いて、自分を責めてばかりいました。

 

「私があんなこと言ったからかな」「もうちょっと安静にしておいたらよかったのかな」

 

色々な思いが頭の中を巡りました。

 

赤ちゃんが流れてしまったという現実を受け止めきれずにいました。

 

でも、だいぶ落ち着いた今思うのが、赤ちゃんがお腹にいてくれてた3ヶ月間は、私はとっても幸せでした。

 

それに、こんなに泣いていたら、空の上の赤ちゃんが心配してしまう、とも思うのです。

 

私が手術をしなくてもいいように、自然に出てきてくれたとってもお利口さんな赤ちゃん。

 

空に旅立ってしまった赤ちゃんのことを忘れずに、強く生きていきたいです。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました!

 

コメント、お待ちしております。

 

 

 

 

 

 

言葉を紡ぐ、ということ。

 

こんにちは。ニーナです。

 

最近、自分の思っていることを言語化するのが難しいな、と感じることが多くなりました。

 

言いたいことや思っていることはあるのに、なんて言ったらいいんだろう……と頭を悩ませます。

 

たとえば、甘くてとっても美味しいお菓子を食べたとき。

 

「甘い」「美味しい」という言葉だけでは足りず、この気持ちをどう表現しようか?と思ったときにでてきた言葉、「幸せ」以外は思いつきませんでした。

 

「幸せ」はそのときにでてきた感情であって、私が言いたいのはお菓子の味についてなんだけどなあ……。

 

そんなことを思いながら、自分の語彙力のなさにもどかしい気持ちになりました。

 

そして、ただでさえ言葉がでてこないくせに、できるだけ綺麗な言葉を使うことも心がけているので言葉がでるまでに時間がかかります。

 

言いたい言葉すべてを綺麗に磨くのは意外と労力がいるんだな、とそのときに気づきました。

 

ただでさえ言いたいことを言語化するのに苦労しているのに、その言葉を磨く……、

複雑な過程で、頭をたくさん使うのでとても面倒ではあります。

 

でも、こうやって言葉を書いている以上、その作業は放棄できない。

というか、放棄したくはありません。

もしかしたら、それは私のプライドなのかもしれません。

 

一人のしがない表現者として、言葉を「発する・言う」のではなく、「言葉を紡ぐ」ことができるような人になりたいとしみじみと思うのです。

 

また、

「思っていることを言葉にする」

「思っていることを伝える」

 

この二つは似ているようで大きく違います。

 

「言葉にする」のは一人でもできます。

 

しかし、「思っていることを伝える」のは伝える相手がいて、初めて成り立ちます。

 

最近、このような微妙なニュアンスの違いを感じることも増えました。

 

こんな風に、言葉について考えたり感じたりする人は多くないのかもしれませんが、共感やご意見、ご感想などあればお伝えください。

 

最後までご覧くださってありがとうございます。